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【雑】「真田丸」登場人物のその後

2016年12月28日

真田丸

大河ドラマ「真田丸」が終わって一週間あまり。

最終回では、主人公・真田幸村を始めとして、その最期が描かれなかった人物が多数いました。という事で、最終回時点での生死が明らかになっていない人物のその後を調べてみました。ただし、Wikipedia調べ。

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真田信繁(幸村)

大坂夏の陣で、安居神社で休んでいるところを討ち取られたとされる。伝説では、豊臣秀頼を伴って大阪を脱出し、鹿児島へ逃れたという説もある。真田丸の信繁は、佐助に介錯されたと見られるが、鹿児島に逃げ落ちた信繁も見てみたいと思わせます。

真田信之

大坂夏の陣から7年後に、松代に加増移封され藩主となる。晩年は息子の信吉、孫の熊之助が先に死去していたため、幼少の3代藩主幸道の代わりに政務をおこなう。1658年に死去。享年93とものすごい長生きをした。

真田信吉

信之の長男。信之が松代へ移ったのち、沼田藩2代藩主となる。1634年40歳の若さで死去した。

真田信政

信之の次男。兄信吉の息子・熊之助が先に亡くなったため、沼田藩4代藩主となる。1656年に松代藩の家督を相続するが2年後に父・信之に先立ち亡くなっている。

真田大助

真田信繁の嫡男。大坂夏の陣のおり、父に殉じて自害したとされる。父と同様に各地に生存伝説が残っている。

真田大八

真田信繁の次男。姉・阿梅にともなって片倉家に引き取られる。1940年伊達家に召し抱えられて、片倉守信と名乗るが、後に真田性に戻して真田守信と名乗る。1670年に死去。

真田信繁の娘。大坂城で乱取りされ片倉家の侍女となる。後に片倉重長の継室となる。1682年に死去。

豊臣秀頼

大坂夏の陣で山里丸にのがれた後に自害したとされる。真田信繁と共に薩摩に逃れたなど生存説もある。

茶々(淀)

大坂夏の陣で山里丸にのがれた後に自害したとされる。秀頼同様に薩摩に逃れたなどの生存説もある。

毛利勝永

大坂夏の陣で藤堂高虎隊を打ち破るなどの活躍をみせるが、その後大坂城に撤退。豊臣秀頼らを介錯したのちに自害したとされる。

明石全登

大坂夏の陣で包囲網をくぐり抜けて戦場を離脱したとされるが、討ち取られたという説もある。戦場を離脱したのちの消息は不明とされる。

長宗我部盛親

大坂夏の陣の後に京都八幡で見つかり捕らえられる。六条河原で斬られる。

徳川家康

大坂夏の陣の後に大坂城は埋め立てれ、その後再建する。翌年、鷹狩に出た先で倒れる。同年、4月17日に死去する。

徳川秀忠

大阪夏の陣ののちに、江戸幕府の基礎をつくる。1623年に将軍職を嫡男家光に譲る。1632年に死去。

千姫

大坂夏の陣の後、本多忠刻と結婚。1666年に70歳で死去する。

 
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