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父の死から2年が過ぎました



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あまりブログでは詳しく触れてはいなかったのですが、父が2年前の2019年11月28日に永眠しました。81歳でした。

亡くなったのは、自動車との交通事故でした。今回、ひき逃げ事件という事もあり、刑事裁判が行われていた事や、その後の民事、示談交渉もずれ込んだりした関係もあり、あまりネット上の個人ブログで書かない方がよいという判断で触れていませんでした。

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とにかく大変だった4日間

11月末に、地元の青森県五所川原市役所から父が亡くなったとの連絡がありました。今回、検死があったりという事で、すぐに帰らなくてもよさそうだったので、週明けの2019年12月日から6日にかけて帰省していました。

しかし、突然の事で驚いたというのもありますが、現地についてからの慌ただしさといったら。まずは、ひき逃げ事件という事もあり、しばらく事情聴取を受けました。その後、父が身元引受人であったので、伯母の施設の方からもろもろ手続きのし直しなど。市役所の方からは、死亡届をださなければならないので、必要な書類などを集めてくださいというところで始まりました。ようやく全部終わって、遺体と面会となりました。顔は、おそらく鼻がつぶれていたのだと思われますが、綿を詰めて修復してもらったので、なんとか見れる状態でした。ただ、頭部含め全身ぐるぐる巻きでした。
前回会ったのが2013年だった事と、顔の部分しか見えなかったので、一瞬で父かどうか判断するのが少し難しかったですね。亡くなった当時、総入れ歯だったようなので、口元が入れ歯外した状態だと雰囲気が変わってしまうのと、白髪だった頭髪が見えなかったというのが難しくさせました。6年ぶりの対面が、こんな事になるとは思ってもみませんでした。

2日目は、書類集めなどをして、市役所で各種手続きをしてきました。火葬にだすための手続きをして、夕方斎場に遺体を送ってという感じでした。

3日目の午前中に火葬。親族も自分しかいないので、特に何もしません。父の持っていた銀行の通帳を引き出すために、相続手続きをする必要があったため、合間に書類集め。狭い町内なので、車なのでさほど時間はかからないのですが、前日から割とがっつり雪が降って、なれない雪道運転だったのは、割としんどかったです。

4日目。父の住んでいた市営住宅を引き払わなければならなくて、再度帰省するまでにも賃貸料がかかってしまうので、姉の手伝いもあって、無理やりありとあらゆるものを処分するという形で、一気に片付けました。これ、1日で出来るかなという感じでしたが、お昼過ぎには終わった感じです。
元々、実家だった住宅は火事で燃えてしまって、それ以降買い揃えたものばかりだったので、これといって遺品として取っておくようなものも、あまりなく。これから使うかもしれなそうな書類関係とか、通帳。その他、お米が、ほぼ丸々10kg残っていたので、送ることに。

最後の最後に、処分できないリサイクル品。冷蔵庫や、洗濯機なんかをリサイクルに出すために、郵便局でリサイクル代金を払うところまでできました。亡くなった直後からいろいろ考えて、先祖代々の墓ではなく千葉に新しく墓を建てることにしたため、遺骨をゆうパックで送る手配をするところまで終えて帰路へ。予定よりは遅くなったけど、なんとか新幹線で帰れました。

刑事裁判と示談交渉

今回、ひき逃げ事件という事で、刑事裁判が行われました。事故が発生したのは、午前4時前後ではという話でした。加害者の方は、飲酒もされていたようで、ひき逃げと合わせて、少し重めの刑になるのではとも思われましたが、初犯という事もあってか執行猶予付きの判決に収まりました。昨年の2月頃から裁判が始まったのですが、途中新型コロナウィルスの蔓延で緊急事態宣言が発令された事もあり、公判が延期されたりという事もあり、判決が出たのは9月になってからでした。

その間、民事の方で示談交渉も行われました。今回、ただでさえも人通りの少ない道だったのに、朝方という事もあり、目撃者もおらずという事情もあり、相手の保険会社でも調査が必要になり、最初のコンタクトは緊急事態宣言明けだったと思います。

父は、80過ぎの老人ではあるけれど、保険会社の提示した金額が妥当かどうかの判断は素人にはつかないという事もあり、その後の交渉は弁護士さんに依頼する事になりました。ただ、ここでも目撃者のいない事故だったので、事故の詳しい状況がわからず。刑事裁判の終了を待って、裁判資料を取り寄せてから実際の交渉を行う事になり、これもまた長引きました。それが昨年末くらいでしたね。年が明けて今年(2021年)になり、保険会社との交渉となりましたが、あっさりと提示した金額でほぼ満額で成立しました。相手の保険会社も、割と長引いてきたので、さっさと終えたかったのかもとか思ったりもしましたが、無事に終わってよかったと思います。

納骨まで

亡くなって、青森に帰っている間、今回保険金も出るので、そのお金でお墓を建てようという結論を出したのですが、最終的に今年の2月頃までずれこんでしまったので、しばらく自宅でお骨を預かる事になってしまいました。

父が亡くなってから1年も経たずに、昨年10月に伯母も亡くなりました。伯母の残したお金の引受人となっていたので、そのお金で先にお墓だけでも建てようという事にしました。昨年10月からお墓を建てる場所を探してました。結局のところ、自分が死んだらお墓の管理する人はいないので、永代供養墓で建てる事にしました。最後にお墓に入った人が亡くなってから13年経ったら墓じまいする形式のものです。

墓地探しとかなかなかする事はないのですが、貴重な経験になりました。現住所から近いところというのもありましたが、将来ずっと同じ場所に住んでいる訳でもないので、多少遠くに引っ越したときの事を考えて、公共交通機関だけでも行ける場所を考えて選択しました。もちろん、料金もろもろも考えないといけないですが。永代供養墓のような形だと、お墓として建てないで墓標のみというものも多いのですが、今回は簡易的なものですがお墓も建てられるものにしました。なにかしら形があった方が良いかなという思いもありまして。

お墓が完成するのが、今年の1月でしたが、コロナ禍の影響で完成してから見学にいけず。3月頃に見学して、納骨式の予定を立てました。4月に父と伯母の納骨式が終わって納骨式が終わって、ようやく一段落終わった感じですね。

最後に、弁護士さんから、刑事事件の資料からわかる範囲で事故の様子は聞く事ができました。ただ、あくまでも加害者側の証言などからわかっている範囲で、結局の所朝方なぜ父がその場所にいたかは判っていません。警察の方の話では、前日の夕方には事故のあったその場所で座り込んでいたという目撃者がいたようです。こればっかりは、想像でしかないですが、多少痴呆症の傾向も出ていたらしいので、その影響もあったのかなと思われます。最期の最期で、こういう形で亡くなったというのは、自分の将来も含めていろいろと考えさせられますね。父は、最後1人暮らしでしたし、自分も将来どうなるんだろうかとも考えてしまいました。

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