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東日本大震災から4年 この1年

女川町の風景 その1

東日本大震災から4年が経ちました。今年も、職場にて14時46分に黙祷を捧げました。

早くも4年が経過したのかという思いもありますが、まだまだ復興には時間がかかりそうという感じで先は長いなという気がします。

宮城・福島遠征2014

昨年は、夏休みに宮城、福島に行ってきて被災地を回ってみました。

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宮城・福島遠征の模様は以下の記事から読めます。

2011年から毎年東北には行っていたのですが、これまで訪れる事が出来なかった場所に行ってみました。女川もまだ沿岸部は工事中でしたし、いわきもまだまだ復興途中のところもありました。ただ、いわきは都内からも近くて行きやすそうでした

今年も夏休みに東北に行く予定ですが、どこへ行こうか考え中です。宮城県、岩手県で旅費を補助してくれるという話もあるようなので、積極的に活用したいですね。

この1年

はてなブックマークにブックマークしていた東日本大震災関連の記事の中からいくつかピックアップしてみたいと思います。

【東日本大震災から3年】3年前の3月11日、みんなどこで何してた? | Pouch[ポーチ]
3年前のあの日、あの巨大地震が起こったとき、みんなどこで何をしていたのか。あの瞬間、みんなの周りではどんなことが起こっていたのか。Pouch編集部のライターたちに聞いてみました。 ...

Pouch編集部ライターの3.11何していたですが、シマヅさんが別な意味で悲惨でしたね。

文芸部|宮城県石巻西高等学校
“絆”と言いながら、見えない恐怖を僕たちだけで処理するように、遠まわしに言う。“未来”は僕たちには程遠く、“頑張れ”は何よりも重い。

当ブログでも取り上げた、石巻西高校の卒業生の詩です。ものすごく、心に突き刺さるものがありました。

「町に帰らないのは放射線量が理由ではない」 避難を続ける福島県民の本音【東日本大震災】
「町に人が戻らないのは、原発事故による放射線量が理由ではない」という発言だ。 ...

HuffPostの記事です。避難生活をしている人々が戻らないのは、放射線量だけが理由ではないという本音。確かに、何年も他の場所に住んで、しかも便がよかったりする場所だったりすると、あえて戻る必要はないのかもしれません。これを言ったのが中学生というのも興味深いものがあります。

荒木家の本家も津波で流されていた… 地方紙『河北新報』(2014年10月21日号)で、荒木先生が「震災」を語る | @JOJO ~ジョジョの奇妙なニュース~
江戸時代から14代続く荒木家の本家が津波に流され、思い出の風景がなくなりかなりショックを受けた ...

「ジョジョの奇妙な冒険」の作者でもある荒木飛呂彦先生は、仙台市の出身なのですが、荒木家の本家も津波で流されていたという衝撃の事実を語っていたそうです。

震災後に発表した「ジョジョリオン」は仙台市がもとになっているM県S市杜王町が舞台となっていますが、震災の事は大きく影響を与えたようです。

津波で横倒しのビル、撤去始まる 宮城・女川町:朝日新聞デジタル
東日本大震災の津波で横倒しになった宮城県女川町の4階建てビルの解体が15日、始まった。 ...

女川町で津波で横倒しになったビルの解体が始まったというニュースです。丁度、夏休みに女川町にいったときに見ていたので驚きました。震災遺構の候補にもなっていたはずですが、断念したようです。

被災の南三陸防災庁舎、保存へ 宮城県が震災遺構で管理:朝日新聞デジタル
東日本大震災の津波で43人が犠牲になった宮城県南三陸町の防災対策庁舎について、県が町に代わって2031年3月まで管理し、保存する方針を固めた。 ...

逆のパターンになりますが、南三陸町の防災庁舎が震災遺構として保存される事になったというニュースです。あの、鉄骨がむき出しになった庁舎は象徴的なものではありましたが、多くの人が亡くなられたという事もあり意見が分かれていました。

BRTに乗って奇跡の一本松を見に行ったらベルトコンベアがすごかった - デイリーポータルZ:@nifty
東日本大震災の津波で、街の中心地が壊滅的被害をうけた岩手県の陸前高田市。 震災から4年近くたった現在は瓦礫の撤去もあらかたおわり、復興作業のまっただ中であった。 ...

デイリーポータルZの記事です。奇跡の一本松がある、陸前高田市の様子です。今は、かさ上げ工事のためにベルトコンベアが使われているようです。一本松は、いわゆるサイボーグ化する前に一度訪れて見学していますが、当時はまだ瓦礫の撤去作業が続けられている頃でした。復興に向けてようやく動き出したというところです。

Google Japan Blog: 復興を記録し続ける - 震災から 4 年を迎えて
東日本大震災から 4 年を迎えた今日、Google では新たに撮影したストリートビューの画像を公開します。 ...

Google JAPANのブログです。震災から4年、Googleはこの1年もストリートビューで被災地を撮りつづけていました。

今は見れないあの景色

過去に被災地を訪れた時の写真の中で、今では見れない景色を紹介しておこうと思います。

まずは、ご存じ陸前高田市の「奇跡の一本杉」です。これは、防腐処理などをする前の、まさしく「奇跡の一本杉」であった頃の景色です。

奇跡の一本松

気仙沼にあった第十八共徳丸です。結局、震災遺構として残しておくことが出来ずに、解体されてしまいました。

第十八共徳丸

昨年訪れた女川町の倒れたビルです。こちらも、震災遺構として残しておけず、解体されてしまいました。

女川町の風景 その1

震災以降、毎年被災地を訪れていはいますが、少しづつ景色が変わりつつあるという事ですね。

かさ上げ工事などが始まっている個所もありますが、まだ更地のままの場所もあります。どちらにしても、まだ津波の傷跡は残ってはいます。

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