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Number 839 ドーハの悲劇から20年 今想うこと

2013年10月28日

ドーハの悲劇

久しぶりにNumberネタです。Number 839は「ドーハの悲劇 20年目の真実」と題して、当時の日本代表メンバー、監督、スタッフ達へのインタビュー記事となっています。

ドーハの悲劇から20年

ドーハの悲劇があったのが1993年10月28日。あれから丁度20年経った事になります。

一口に20年と言っても、かなり反応が違っています。当時の事を鮮明に覚えている人もいれば、ほとんど覚えていない人もいますが、年月が経ってあらためて感じる事も多いようです。

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正直、当時のメンバーは覚えているようで覚えていなかったりするのですが、あらためて記載しておきます。

1994年 FIFAワールドカップ アジア最終予選日本代表メンバー

GK
松永成立、前川和也

DF
柱谷哲二、井原正巳、勝矢寿延、都並敏史、三浦泰年、大嶽直人、大野俊三

MF
ラモス瑠偉、北澤豪、福田正博、堀池巧、澤登正朗、森保一、吉田光範

FW 三浦知良、武田修宏、中山雅史、高木琢也、長谷川健太、黒崎比差支

こうやってみても、そうそうたるメンバーです。

ただ、このドーハを戦ったメンバーのうち半数近くがフランスW杯のあった1998年までに現役引退しています。さらに、日韓W杯のときには大多数のメンバーが引退していました。

おそらくドーハの悲劇がなく翌年のW杯へ行けたとしたら、ほとんどのメンバーが選出されていたでしょう。そう考えると、ドーハの悲劇からフランスW杯でメンバーに残ったのが井原と中山しかいないというのは、日本のサッカー界事自体がものすごい変革期だったということでしょう。

詳しい内容は誌面をみてもらうとして、インタビューの際に色紙に一言、ドーハの悲劇とはなんだったのかという思いを残しています。
これを見ると、20年経った今どう思っているのかが端的にわかるかもしれません。

三浦知良 「ひとつの思い出」
中山雅史 「劇薬」
井原正巳 「自分のサッカーへのモチベーション。」
ラモス瑠偉 「Começo!!(始まり)」
森保一 「強い心を与えてくれた」
高木琢也 「出発点」
福田正博 「教え」
堀池巧 「日本サッカーの通過点」
長谷川健太 「経験」
北澤豪 「ワールドカップまであと数cm!」
勝矢寿延 「透明な壁」
柱谷哲也 「前進」
大野俊三 「終わりない夢!」
吉田光範 「Kick OFF」
前川和也 「財産」
武田修宏 「人生」
黒崎久志 「維新」
澤登正朗 「サッカー人生のスタート」
三浦泰年 (インタビューなし)
都並敏史 「お国の為に行きました」
松永成立 「オフトファミリー」
大嶽直人 「お守り・魂」

なお、抜粋版ですが一部記事がNumber Webに記事が載っているようです。

<ドーハの背番号10、秘めた思い> ラモス瑠偉 「俺はオフトを男にしたかった」(1/3) - Number Web : ナンバーはてなブックマーク - <ドーハの背番号10、秘めた思い> ラモス瑠偉 「俺はオフトを男にしたかった」(1/3) - Number Web : ナンバー
<悲劇から20年、指揮官として> 森保一×高木琢也 「監督に必要なことは、オフトとドーハが教えてくれた」(1/4) - Number Web : ナンバーはてなブックマーク - <悲劇から20年、指揮官として> 森保一×高木琢也 「監督に必要なことは、オフトとドーハが教えてくれた」(1/4) - Number Web : ナンバー

ドーハの悲劇の夜に

Number ドーハの悲劇

「ドーハの悲劇」のときの自分の事を少し書いておこうと思います。当時は、インターネットもなかったので特に記録も残してなかったので。

アメリカW杯予選はほとんどリアルタイムで見たような記憶があります。最終イラク戦もテレビで観てました。

今となっては試合内容自体もあまり覚えていません。なんとなく、このままW杯に行けるんじゃないかと思ってました。

もちろん、ロスタイムに追いつかれたシーンは覚えていますが、当時の記憶というよりは繰り返し流されるVTRで刷り込まれている感じがします。

はっきりとは覚えてませんが、しばらく呆然としていた記憶があります。
しばらく経って思ったのは、次のW杯まで長いなぁと思ったくらいでしょうか。

今になって考えると、フランスW杯予選のときのなんとも言えない熱狂は、ドーハの悲劇があったからこそかもしれませんね。W杯への渇望というものが溢れていました。
今でも代表の試合は人が入ってますが、当時の会場の雰囲気は今とは随分違っていたように思います。

Jリーグを本格的に、スタジアムで観戦するようになったのは1998年以降ですが、ロスタイムで同点やら逆転なんて案外よくある事です。

日本代表の試合でも追いつかれたり、ロスタイムに得点を入れて勝ったりという事がありました。

ドーハの悲劇の当時は、そういう事はよくわかっていなかったなぁと今にしてみれば思います。後々になって、これもサッカーだって事に気づいた気がします。

今の若い世代はドーハの悲劇以降に生まれてきた子たちもいるし、テレビで観る事はあっても、感覚としてはわからないかもしれません。

自分にとっては、ドーハの悲劇をリアルタイムで観れたのはある意味幸せだったなと思えます。4年後のジョホールバルの歓喜も含めていい思い出ですね。

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