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オシムさんへ

イビチャ・オシム

今年5月に、イビチャ・オシム元監督が亡くなられたのですが、当時なんかしら書いておきたかったのですが、どうしても書ききれず。

いつか来るだろうと思っていたその日が来て、あらためてどうしようかという感じで過ぎてしまった気がします。さすがに、もう年の暮れだし、何かしら残しておこうと思った次第です。

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5月2日は、館山に旅行に行っていまして。2日は、あちこち回ってたってのもあるけど、たまたま前の日の夜からずっとTwitterも見ずにすごしていたんですよね。たまたま、休憩中にTwitterを見てみたら、オシムさんが亡くなったというニュースが飛び込んできました。

まだ帰路につく前だったのだけれど、激しく動揺。いろんな事が頭の中を巡ったのですが、まずはちゃんと家に帰ってから考えようと気を取り直した感じでした。

ジェフのサイトで、ユナパに献花台が設けられるという事で、5月7日にユナパを訪れました。翌日には、フクアリにも献花台が設けられるという事ではありましたが、なんだかひっそりと静かな中で行きたいなという思いもあり、あえて試合のない日に出かけたというのもあります。

献花

献花台

あらためて、オシムさん亡くなってしまったんだなぁという気持ち。あと、少しでも長く生きてもらいたかったという思いもあります。

かつては、オシムさんが生きている間にJ1で優勝をと思っていましたが、この頃はオシムさんが生きている間にJ1昇格をに置き換わっていました。ただ、その報告すら出来ずじまいだったのが残念です。

過去の観戦記録を振り返ってみると、オシムさんが来る以前からジェフの試合は観に行くようにはなってはいたんですが、オシムさんがやってきた2003年から格段に観戦試合数が多くなっていたんですよ。あまり、その当時の事は細かくは覚えてはないですが、何がってのは、はっきりと解ってはなかったんでしょうが、オシムさんのサッカーが面白かったっていうのはあったんだと思います。

気づけば、シーズンシートを買うようにもなっていましたからね。ジェフの試合を観に行くというモチベーションが格段に上がった事は確かです。アウェイ戦で、ジェフの試合を観に行く機会も、この頃から増えていった気がします。

今、オシムさんが日本でジェフや日本代表を指導していた時期に選手だった人たちが、引退してきてコーチであったり監督であったりと、指導者になってきている人が増えて来ています。ただ、どれだけ影響を受けていたとしても、オシムさんのサッカーはオシムさんにしか出来ない事なので。ときに、それが重荷にならないかとか思ったりもしますが。でもオシムさんと同じサッカーをする必要はないんです。

オシムさんの本当のすごいところは、先を見据える力だと思います。だから当時のJリーグでジェフが席巻出来ていたわけです。今にして思うと、あれってすごくサッカーをやる上で普通の事だったんじゃないのかって気も来ているから不思議です。2005年から2006年当時のジェフはオシムさんの思い描いたサッカーがある程度出来るようになっていたと思います。ナビスコカップ優勝は、それが結実した形でもありました。ただ、オシムさんがあのまま指導していたとしても、最後まで完成形というのはなかったのかなと思います。

オシムさんの残したものを言葉だけで紡いでいくのはなかなかに難しい。ジェフや日本代表がやっていたサッカーにしても、その当時のオシムさんがやろうとしていた事に過ぎないので。オシムさんがやっていた過去のサッカーじゃなくて、オシムさんだったやるんじゃないかという先進的なサッカーをやってくれる監督が現れた、ちょっとおもしろいなと思いますね。

オシムさんが日本に来てくれて、今まで以上にサッカーを観るのが楽しくなりました。また、オシムさんの話が聞けなくなるのが寂しい。

オシムさん、どうか安らかに。そして、たくさんのありがとうを言いたい

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